【事務所FB】トップへ戻る相続・遺言 相談窓口
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弊所のご依頼は多摩エリアが一番多く、全体の7割。私達の事務所は市内全域からご依頼を受けており、出張訪問や相談をお受けしております。 こちらには過去の市内のご相続のケースで、皆様の参考ケースになるよう、手続きを一部ご紹介しております。
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相談内容 |
相続手続き |
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年代 |
40代 |
性別 | 男性 |
ご相談 | 2018年6月 |
必要期間 |
2018年6月~2018年8月 |
半年前にお母様が亡くなった時ご相談をいただいた方からの依頼でした。
地方にまったく会っていない代襲相続人がいるということで、ひとりでは話の進め方がわからないということです。
ご本人がご用意した書類
・身分証明書(免許証)
・印鑑証明書(1部のみ)
その他の証明書類である書類の収集(戸籍謄本一式と住民票、残高証明書、取引明細書、登記事項証明書等)すべてを引き受け着手します。
ほとんど会ったことのない代襲相続人である甥御さんは手紙と電話連絡のみでしたが、財産に関してはあまり主張をしない、と協力的になってくれました。
甥御さんが地方から上京してくるのに合わせて遺産分割協議書作成を設定しました。
預貯金は不動産を取得する方が少なめに、いうことで、無事署名捺印が終わりました。
不動産は司法書士、弊所が預貯金の解約を担当し、相続人皆様の各口座に直接振り込まれるように手続きをして手続き完了、無事に納品となりました。
疎遠になっていたり、代襲相続がおきてほとんど面識のない方々の話し合いになると電話での連絡に終始して、一つの言葉のかけ違いが一気にもめる方向に発展することがあります。
亡くなった方との関係やその人の立場をお互いが尊重することで、すべてはスムーズに進みます。 ただし、あまり面識のない相続人同士の電話のみでのやり取りはあまりお勧めできません。顔が見えないため、お互い不安に陥りやすいものです。
連絡方法も含め、ご依頼者と相談し、非常にうまくスピード解決となりました。
K様
相談内容 |
相続手続き |
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年代 |
30代 |
性別 | 女性 |
ご相談 | 2018年7月 |
必要期間 |
2018年9月~2018年10月 |
数週間前にお父様が亡くなったなったご姉妹からご相談をいただきました。
内容は書類の集め方、相続の手続きの仕方です。
ご実家が地方で何度か転籍をしているようでいくつも地方から戸籍等を取らねばならないようです。
2018年9月 ご依頼・受任
49日法要が終わってから正式にご依頼をいただきました。
ご本人がご用意した書類
・身分証明書
・印鑑証明書
・預貯金通帳
・戸籍謄本・改正原戸籍
・車検証
その他の証明書類は全くなかったため、戸籍謄本一式と住民票、残高証明書、取引明細書等全ての収集のご依頼も承りました。
今回は不動産はなしです。
預貯金はすべて等分、自動車はご自宅にお住いの次女が継ぐことになり遺産分割協議書を作成して署名捺印をします。
都内に数件の預貯金口座、
自動車は八王子市滝山町の八王子自動車検査登録事務所
それぞれの窓口へ出向きます。
預貯金の解約も終わり、相続人皆様の各口座に振り込まれて手続き完了、無事に納品となりました。
書類を集めようと思ったが、前の戸籍がすでに地方だったために、その後の手続き方法をご相談にいらした方たちでしたが、49日法要の時に相談して、終わってからまたご来所されました。
自動車はその後乗るにしても処分するにしても、いったん相続人名義に書き換える必要があります。 面倒のように感じますが、それから解体手続きに移らねばなりません。
故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
八王子市は、東京府(1868年-1943年)時代に東京市に次いで1917年(大正6年)に市制を施行した市である。人口は、日本の市町村の中で第23位、東京都内の市町村で第1位(東京23区を含む市区町村では第6位)、全国の政令指定都市を除くと市では船橋市、鹿児島市に次いで全国第3位]、政令指定都市・中核市・特例市のいずれにも属さない市で最多の人口を擁する。多摩地域最大の都市である。加えて面積に於いても奥多摩町に続き、東京都の区市町村で2番目に広い行政面積を擁している 1986年に国土交通省より業務核都市と定められている。2007年4月に東京都で初めての保健所政令市に指定され、2015年4月1日には東京都で初めて中核市に移行する。八王子市は、その周辺部も含め23の大学等(大学・短期大学・高専)があり、外国人留学生約3,100人を含む約11万人の学生が学んでいる。全国有数の学園都市でもある。また、東京都特別区部への通勤率は14.9%(平成22年国勢調査)とベットタウンとしての面ももっている。 後北条氏および徳川氏から軍事拠点として位置づけられ、戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町(八王子宿)として栄えた。明治時代には南多摩郡の郡役所所在地となり、多摩地域内で最も早く市制施行した。かつて絹織物産業・養蚕業が盛んであった為に「桑の都」及び「桑都(そうと)」という美称があり、西行の歌と伝えられてきた「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」という歌もある。 |
http://ja.wikipedia.org/wiki/八王子市 (wikipediaより抜粋)